頭ん中

しがないITエンジニアが、考えた事を書きます。

ITエンジニアがDXなるものと戦うための心構え - その2

どうせなら「DXの本懐は○○にあり」みたいな予想をすると、100年後このブログを見たときに答え合わせできて面白いかもしれないので、無理やりもうちょっと考えた。

生産革命であること

DXが何らかの生産革命が起きる予感を指すというのは前の記事に書いた通りで、製造業・IT業界・ソフトウェア・ハードウェアなどの括りではなく、人間の生産社会全般に対する動きという事に注目する。こうなってくると、IoT・AIといった個別の技術要素自体が本質なのではなく、そういった新しいICT技術を人間の社会生活に落とし込むまでの間のところ、つまりソフトウェアの開発技術に関するブレークスルーがあるのではないかと予測できる。

銀の弾丸

ソフトウェア開発のブレークスルー、と聞いて思い浮かぶのはこれしかない。「狼人間を打つ銀の弾はない(No Sliver Bullet)」という有名なソフトウェア開発の本質に関する古典だ。

人月の神話―狼人間を撃つ銀の弾はない (Professional Computing Series)

人月の神話―狼人間を撃つ銀の弾はない (Professional Computing Series)

乱暴に概要を書くと、ソフトウェア開発の難しさを「偶有的な難しさ」と「本質的な難しさ」に分解した上で、高水準言語・オブジェクト指向・その他様々な「銀の弾丸」と呼ばれるものは、すべて「偶有的な難しさ」への挑戦であり、ソフトウェアという概念構造体とそれに対する操作が困難であるという「本質的な難しさ」を解決するものなんてない、という説明である。

ただ、本質的な複雑さへの挑戦はいくつかあって、「作らずに買う」「偉大なデザイナーの育成」「要件の洗練と迅速プロトタイピング」「漸増的開発」というアプローチは提示されている。初版が書かれたのが1986年で、今となってはパッケージソフトを買うのが普通になり、アジャイル的なソフトウェアの開発論が洗練されてきたりと、時代は着実に進んでいる。

ソフトウェア開発の陳腐化

そんな訳で無理やりまとめると、巨大プラットフォーマーやイケてるWeb屋やSIerなどのIT会社だけでなく、中小企業から個人に至るまで、誰もが最新のICT技術を使ったイケてるプロダクトを作れるようになることが、則ちDX時代の訪れなのであろう。そのためには、ソフトウェア開発というものが、もっともっと陳腐化されていかなくてはいけないし、このブレークスルーこそがDXの正体だ。

その正体が具体的にはソフトウェア開発の方法論なのか、kintoneみたいな開発プラットフォームなのか、あるいは何でもできる次世代エクセルなのか。正確には結局よくわからないけれど、こんな感じの方向性に、DXのビジネスチャンスや、私たちITエンジニアが生き残る道筋が隠れてるんじゃないかなぁ、と思っている。