僕が "晴海" という場所を知ったのは中学生の時だったと思う。
小沢健二「いちょう並木のセレナーデ」のフレーズを聞いたときだ。
晴海ふ頭を船が出ていくと 君はずっと眺めていたよ
そして過ぎていく日々を ふみしてめて僕らはいく
岐阜の片田舎で育った僕にとって "丸の内" や "東京タワー"、"渋谷公園通り" といった東京の地名は、アーティストの歌の中だけに存在する、遠い世界の話だった。
小沢健二は都会的な恋愛を心の底から楽む "東京の華やかさ"。椎名林檎は荒んだ生活に精神を擦り減らす "東京の影"。そんなふうに見えていた。
けれど、オタクな中学生だった僕には、どちらにしても全く共感できないし、東京や恋愛が憧れの存在というわけでもなかった。小沢健二は都会の女ったらしで、僕にっとてはむしろ嫌悪の対象だった。
そんな僕の気質を変えたのが、「いちょう並木のセレナーデ」だ。「さよならなんて云えないよ」と並ぶ、小沢健二が歌う別れの名曲である。
晴海ふ頭を船が出ていくと 君はずっと眺めていたよ
そして過ぎていく日々を ふみしてめて僕らはいく
別れた彼女の姿を儚く思い描く名シーンである。
ZIP FMでこのフレーズを耳にした時、「小沢健二のような女ったらしも失恋して感傷に浸るんだな」と無邪気に思ったのを今でも覚えている。
翌日、レンタル屋でアルバム「LIFE」借りたら最後、小沢健二のマジックに僕はどっぷり嵌ってしまったのだった。
恋愛経験ゼロの中学生が小沢健二を聴きながら、さも分かったかのように恋愛を礼賛したり悲嘆に暮れたりする。
今思えば非常に滑稽だが、その悲嘆の象徴で別れの場所というのが、僕の "晴海" に対するイメージだった。
時は流れて、今から1年と少し前、僕はついに東京へ引っ越してきた。初出勤の日、地下鉄のホームドアにでかでかと貼りだされた文字が目に入ってきた。
「HARUMI FLAG」
ハルミって小沢健二の晴海か?と、「いちょう並木のセレナーデ」のフレーズを思い起こしながら、僕はそのマンションの広告に興味を持った。
結婚して子供もできて、次は家かなと漠然と思っていた僕が、晴海に惚れこむのにそう時間は掛からなかった。
"出会い"、"新たな生活"、"希望"。よくあるマイホームドリームの例に漏れず、僕の中の晴海への思いは、短期間のうちに際限なく膨らんでいった。
モデルルームを見て、厳しいながらも資金計画を立て… それ以降のことは、ここには書かない。
先日、ようやくHARUMI FLAGの購入を諦めた。
僕にとっての "晴海" は、これからも、小沢健二の歌う、別れの場所というイメージのままになりそうだ。