池上彰の解説も中田敦彦のYou Tubeも、見ている多くの人が求めてるのは「勉強したい」「知りたい」ではなくて「納得したい」なんじゃないかなと思う。納得って、別に説明が間違っててもいいんだ。聞いた自分が「なるほど!」と思えればいいから。だから、そこから手間かけて自分で学ぼうとは思わない。
— ヤギの人(冬) (@yusai00) 2020年1月3日
ちょっと前に見かけたこのツイートが心に引っかかったので、理由を少し考えてみました。
マーケティングの話
唐突にビジネスの教科書的な話を書きます。
- 情報源の数や量は増え、人々が受動的でなく能動的に情報を探すように変わった。
- 一方で、人間の情報処理能力や購買欲求は変わっていない。
- そのため一つ一つの情報に注ぐ注意力や時間が薄くなり、レコメンドや信頼する人間が発信する情報を選択しがちになる。
このような状況下では、いかに消費者に納得性を持たせて商品を選んで貰えるよう仕向けるかが近年のマーケティングのテーマとなっています。*1
実際に自身の行動を振り返ってみても、ググって大量の検索結果をあさるより、よく見るまとめアプリの「○○駅周辺のおしゃれカフェ10選」という記事を見る、インスタのインフルエンサーと同じものを買う、ツイッターで流れてきた写真の場所に旅行するといった、短絡的な意思決定をすることが自然と増えていると自省したくなります。
情報に疲れた現代人という共通点
人間の知的好奇心というのも購買欲求と同じで、学生と大人、そもそも持って生まれた強い・弱いみたいな個人差はあると思いますが、時代によってその量が変わるものではないはずです。それにもかかわらず情報量だけ増えたもんだから普通の人には処理しきれなくなってきて、短時間で納得できるコンテンツの需要が高まったのではないでしょうか。
元ツイートで言及される中田敦彦のYouTubeだけでなく、はてなやnoteで御高説を説く記事が流行ったりするのもきっとこの流れの一部なんじゃないかと感じます。商品を何とかして売ろうとするマーケターと同じで、知的資産をアウトプットする賢い人の中でもこのような時代の変化を察知した"狡い"人たちは、この先も納得性に特化したコンテンツを次々と提供してくるでしょう。
仕方ない?仕方なくない?
消費の意志決定プロセスが時代と共に変化したように、知的好奇心の満たし方も自然に変わっただけだと言える気はします。私はこういう歴史の歯車みたいなどうしようもない社会の変化に対して異を唱えるのが苦手なので、手間かけて自分で学ぼうとは思わない現代人を擁護したい気持ちが元ツイートへの引っかかりになってたんだと書いていて気が付きました。
ただ、これじゃ駄目なのにという違和感に同調する気持ちはあって、「せっかくマスメディアの一方的支配から解放されたのに、これじゃあ結局はマーケターに踊らされるだけじゃないか」とリベラルな消費者のプライドがこれを潔しとしないように、せめて勉強を生業とする人は、知的好奇心を大切に扱いながらじっくり消化する情報処理方法を見失わないようにしていきたいですね。
*1:僕の本業はマーケターではないので、 専らSalesforceやMarketoみたいなMAの受け売りである。